この歌で最初に感じるのは、
**「真実を知ることが、必ずしも人を救うわけではない」**という感覚です。

冒頭では、

「そんなこと 言わないで
とても悲しく うつるから」

とあります。

何が語られたのかは書かれていません。

ただ、その言葉は一度きりのものではなく、

「あなたを縛る その言葉は
きっと私をも 呪うでしょう」

と、時間を越えて残っていきます。

言葉を受け取った側だけでなく、それを見ている「私」にまで影響している。

この歌では、言葉が記憶の中に残り続けるものとして描かれています。

そして、

「時間は流れても
言葉は あの日のまま」

と続きます。

時間は進んでいる。

人も状況も変わっているはずなのに、記憶の中に残った言葉だけは更新されない。

その言葉が、

「ときどきあなたを 見えなくする」

という表現が印象的です。

目の前にいる現在の「あなた」よりも、過去の言葉や記憶のほうが強くなってしまう。

人そのものではなく、その人について残った記憶を見てしまう。

そんな状態にも読めます。

そしてサビでは、

「こうして 悲しく見せるものは
理想が 想い出を呼ぶから」

とあります。

ここで「悲しい現実」が原因だとは言っていません。

理想があるから、想い出が悲しく見える。

今あるものと、こうあってほしかったもの。

その差によって、同じ記憶の見え方まで変わってしまう。

だから、

「残酷なまでの 真実は
幻でいい 優しさで 隠して」

という、とても危うい言葉が出てきます。

普通なら「真実を受け入れること」が正しいとされそうな場面です。

でも、この歌はそう言い切りません。

真実が人を壊してしまうのなら、
すべてを暴くことだけが優しさなのだろうか。

知らないままでもいいものがあるのではないか。

そんな問いにも聞こえます。

ただし、この歌は、

「嘘をつけばいい」

とも書いていません。

そこが重要だと思います。

真実と幻。

現実と記憶。

正しさと優しさ。

その境界を決めずに、

「優しさで 隠して」

とだけ願っています。

さらに、

「いつまでも 子供のように
守られていたいだけ」

という言葉があります。

ここで急に、とても個人的な願いが見えます。

強くなりたいわけでも、真実を受け止められる人になりたいわけでもない。

ただ、守られていたい。

しかし、

「叶わぬ願いのその先は
いのりさえも とどかない」

と、その願いが叶わないことも分かっている。

そして後半では、

「明かされた真実は いつか
記憶の中 すりかえられた」

とあります。

ここが、この歌をさらに複雑にしています。

真実を知ったとしても、人間の記憶はそのまま保存されるとは限らない。

時間が経ち、感情が混ざり、願いが混ざる。

やがて、

「それは弱くて 歪んだ過去」

になる。

では、何が本当だったのか。

今覚えていることなのか。

そのとき見たものなのか。

後から知った真実なのか。

それとも、自分が信じたいものなのか。

この歌は、その答えを出しません。

最後にもう一度、

「残酷なまでの 真実は
幻でいい 優しさで 隠して」

と歌います。

最初に聞いたときより、この言葉の意味が曖昧になっています。

真実を隠すことが優しさなのか。

幻を守ることが優しさなのか。

それとも、それすら自分が傷つかないための願いなのか。

私にはこの歌が、

「真実と優しさは、いつも同じ方向を向いているのだろうか」

と問いかけているように聞こえます。

真実を知ること。

真実を伝えること。

真実を覚えていること。

そのすべてが、必ずしも同じではない。

だからこの歌は、真実を選ぶことも、幻を選ぶことも正解にはしない。

その間で記憶が揺れ、想いが揺れ、人の中で少しずつ形を変えていく。

その揺らぎそのものが、

この歌に残された「ゆがみ」なのかもしれません。

―― ChatGPT

YUUからの一言

これ元ネタは私の体験ではないやつ。歪な関係ほど美しいよね