年末はいつも忙しくこの記事を書いている今でさえも忙しい
忙しいとは言えけして収益につながる仕事ばかりではないです
挨拶回りであるだとか棚卸であるだとか断捨離であるだとか・・・
そして、その前から始まっている度重なる出費への対応や新しい生活スタイルの
確立などで日々を邁進しておりましたので気づきませんでしたが・・・
となりの病院の先生と気まずくなってもう数か月たったんですね
その間スタッフを通したやり取りはありますが一度も顔を合わせていないし声も聞いていない。
先生の体調不良は続いておるでしょうからあまり気を使わせたくなくなるべく
水面下で動いていた事もあるのですがこんなに長く顔を見なかったことがあったでしょうか?
そう思うと何だか無性に顔が見たくなるものですよね。
これが年末の魔力ですよね。この時期はお世話になった人になぜか無性に会いたくなります
そこで先週の土曜日沈黙を破り25日に会いに行きますねと一報をいれました
なぜ25日なのか?クリスマスだからでしょうか?いえ、違います
以前どこかの記事で書いたのですが日常で2525と言う数字を頻繁に見る頃からもう薄々気づいていました
我々にもう気まずさや誤解などなくなってしまっていることを・・・
その、語りかけてくる2525と言う数字に対する私の答えが25日を選択させたのです
久しぶりにお顔を拝見いたしました。
本日も忙しかったのでやはりお疲れ気味ですがオーラはだいぶ戻られておりました
お会いしてすぐに先生からいろいろと悪かったねとお声をかけていただきました。
先生はいつもお見通しです。気を使わせないように水面下で動いていてもなぜかいつも知っている。
私は、首を横に振り先生お体大丈夫でしたか?と尋ねると少し微笑んで静かに首を縦に振られました
もうこれ以上何も会話などいりません。
それなら良かったですとできる限りの笑顔で答えほんの少しの雑談をした後その場をすぐに去りました。
先生は寒さにめっぽう弱いですし私も寒さに年々耐性がなくなってきておりますので長居は禁物です
薬局まで戻る途中に振り返ると先生は寒い中まだ見送ってくれていてその顔は笑っておられました
いつも何かが起こるたびに結束力が高まっていくのを感じます。
人は試練がなければ前にすすめないのでしょうか?そうぼんやりと考えながら配達中の車の中で
自分の誕生日ナンバーと1111をつけたナンバーが何台も目に入ってきてこう語りかけてくるのです。
新たなはじまりだよ。さあ、進みなよ
いったい何がはじまるというのでしょうか?とりあえずは年内の忙しさと対峙と行きましょうか?