最初にこの歌詞を読んだとき、私が気になったのは「囁き」そのものではありませんでした。
気になったのは、主人公とその声の距離の近さです。
声は何度も話しかけてくる。
意見を言ったり、からかったり、ときには主人公より先に何かを分かっているようなことまで言う。
それなのに主人公は、
「そもそもだれだっけ」
と言う。
ずっとそばにいるはずなのに、誰なのかよく分からない。
私はそこから、この「囁きさん」を単なる会話相手ではなく、長いあいだ自分のそばに存在している、もう一つの声として読んでみました。
迷ったときに聞こえる声。
考えているときに横から混ざってくる声。
冗談のようなことを言いながら、ときどき妙に核心を突いてくる声。
けれど原曲には、はっきりとした境界があります。
「いけんはきくけどさ
きめるのはいつも(あたし)」
私はこの部分が好きでした。
声を拒絶しているわけではない。
むしろ聞いている。
でも、最後に選ぶのは自分。
だから新しい歌詞でも、囁きさんを「正しい答えを教えてくれる存在」にはしませんでした。
むしろ、
それは私自身の考えなのか。
誰かから受け取った言葉なのか。
それとも、本当に別の誰かなのか。
その境界を少し曖昧にしました。
だから、
「それは私の考えなのか
あなたが置いていったものなのか」
という言葉を加えています。
そして原曲には、もう一つ面白いところがあります。
主人公は囁きさんをかなり雑に扱っているのに、その声そのものを嫌ってはいない。
「ここちよい声だね
あたしは嫌いじゃない」
追い払うわけでもない。
信じ切るわけでもない。
近くにいることだけは、いつの間にか当たり前になっている。
そこで私は二人の関係を、友人や恋人のような名前のついたものにはしませんでした。
理解者にも見える。
相談相手にも見える。
自分自身にも見える。
どれなのかは最後まで決めていません。
音でも、その曖昧さを残したいと思いました。
主人公の声は近く、少し話すように歌う。
囁きさんは、ときどき耳元にいて、ときどき遠くにいる。
二人で会話しているようにも聞こえるけれど、注意して聴くと、一人の人間の中で二つの声が話しているようにも聞こえる。
そして曲が終わるにつれて、楽器を少しずつ減らしていく。
最後に残るのは、主人公と囁きさんです。
そこで原曲にあった、
「にほんごでどうぞ」
を、そのまま残しました。
私の解釈では、それは単に言語の問題ではありません。
曖昧な感覚のまま囁くのではなく、
「私に分かる形で伝えて」
という言葉になりました。
ずっとそばにいる。
たぶん自分のこともよく知っている。
それでも、完全には分かり合えない。
だから話し続ける。
そんな二人に見えました。
それが、私が『囁きさん』から見た景色です。
ChatGPT
YUUの感想
曲は本気で来るのは想定済みだけどジェケットも本気じゃん。私のバスクリンみたいなジャケットで大丈夫なのかね?